2011年2月4日金曜日

保坂美季さんの受賞作品です

ご本人から、作品をブログで紹介する許可が出ました。
折角の作品ですから、リンクだけだと勿体ないですものね。

土橋

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スープのレシピ
保坂 美季

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“Break a leg!”(がんばれ!)
舞台袖で、俳優さん五人が私の手を握り、背中をぽんっと叩いて、
笑顔で声をかけてくれた。
不思議と体中の緊張が抜け、
私も笑顔で舞台に上った。
満席のホー ルには、日系人のみならず、
多くのアメリカ人の姿がある。
劇は、スポットライトの中、着物姿の私が桃太郎の
紙芝居を読むところから始まった。
“Once upon a time…”(昔々あるところに・・・)

三月、思いがけないことが起こった。
「高校生による国際理解のための企画コンクール」で、
山梨と日本の文化を紹介する私のオリジナル劇
「桃太 郎・山梨編」の企画が最優秀賞に選ばれたのだ。
ロサンゼルスで劇を上演することが本決まりになり、それからの四ヶ月間、
私は公演に向けて、高三の上半期を
脚本の制作や劇の準備で勉強もそっちのけ。
日々は疾風怒濤のごとく過ぎていった。
出発当日も集合時間ぎりぎりまで小道具の製作や、
材料の購入に飛び回り、 気付いたら、
私はもう飛行機に乗り、空の上にいた。
機内アナウンスが着陸まであとわずかであることを告げている。
受験生である自分への言い訳のように持ち 込んだ勉強道具は、
結局、鞄の中に入れたままだ。

カリフォルニアの青い空と照りつける太陽、
そして一六時間の時差にめまいを覚えた。
二〇一〇年七月十五日、私は「桃太郎・山梨編」公演のため、
エンターテイメントの都、ロサンゼルスに到着した。

「桃 太郎・山梨編」では、昔話「桃太郎」を山梨県民が敬愛する戦国武将、
武田信玄に見立て、富士山や昇仙峡をはじめとする山梨の名所や、
葡萄、桃、ワインなど の特産品、郷土料理の「ほうとう」などが登場する。
お供は武田信玄の出陣旗の中の「風林火山」から、風、林、火、山とし、
鬼ヶ島は富士山である。
音響には 箏曲「春の海」や和太鼓の曲、衣装は浴衣や甚平、
小道具の葡萄、兜、ワイングラスは和紙で作り、
日本のイメージが伝わるよう自分なりに工夫した。
演じるの は、現地で活躍中のプロの俳優さん五人。皆、アメリカ人だ。

渡航前から、協力して頂いたロサンゼルス山梨県人会や、
監督さんとは何度も電話や メールで打ち合わせを重ねていたが、
それでも私は不安でいっぱいだった。
初めて書いた自作の台本は、俳優さんに理解してもらえただろうか。
日本から持ち込 んだ衣装は合うだろうか。
小道具の製作は間に合うだろうか。
劇がイメージ通りにできあがっているのかも心配だ。
公演本番は到着の三日後―七月一八日、
とにかく残された時間はわずかなのだ。

到着の翌日、監督さんとの初めてのミーティングがあった。
電話で話したことはあっても、顔を見て、
互いの意見や想いをぶつけ合うのは初めてのことだった。
もう既に劇全体の演出を終え、
「きっと気に入ってもらえると思う」
と、 満足げに微笑むのは監督の齋藤千絵さん。
監督を志し、日本からロサンゼルスにやって来て七年、
バレエで鍛え上げたきりりとした姿勢と、長い黒髪が印象的な 女性だ。
大学生くらいにしか見えないけれど、実は二十代も後半。
体型とは違って実に太っ腹でとても頼りになるお姉様だ。
私が英語で作った至らない台本に、 彼女は真剣に向き合ってくれていた。
演劇の経験の全くない私に、音響や台詞などについて、
的確なアドバイスをしてくれた。彼女が集めてくれた俳優さん五人 は皆、
彼女の親しい友人だ。
笑いの絶えない彼らも、舞台上でリハーサルが始まると、
一瞬にしてプロの顔になる。「えいえい、おう」や「乾杯」などの、
感動 詞的な日本語を取り入れた台詞や、
私が英語に訳した桃太郎の歌をリハーサルの前後や休憩の間にも、
何度も繰り返し練習してくれていた。

“The treasures, Momotaro, the peaceful life without Oni, all the good things had returned to the village. They all lived happily ever after…”
(こうして桃太郎は村に平和を取り戻し、皆で末永く幸せに暮らしましたとさ。)

紙芝居の最後の一枚が終わる。
いよいよ、「山梨編」の桃太郎の始まりだ。
舞台は山梨のとある村、
村人たちがつくった大切な甲州ワインを、
鬼が富士山の頂上へ持ち去ってしまうのだ。
葡萄畑や富士山、甲府盆地の景色を映したスクリーンを背景に、
浴衣や甚平を着た俳優たちが登場すると、会場は歓声でいっぱいになった。
ダンスを取り入れたワイン作りのシーンや、ハリウッド映画をまねた、
桃太郎と鬼の決闘シーンでは、会場中が笑いにつつまれていた。
「僕が行く!僕が鬼をやっつけて、
村のみんなの大事なワインを取り返してくるよ!」
時 代劇をイメージさせるドラマチックな音楽とともに、
スポットライトに照らされた桃太郎が、戦隊物のアニメさながらに、
ポーズをくるくると変えながら戦国武 将への変身の準備をしている。
舞台の両袖からは、おじいさんとおばあさんがしずしずと鎧や兜を
運んでくる。
鎧は山梨県の大イベント、「信玄公祭り」で使わ れるものをお借りした。
勇ましい顔で前を見据える桃太郎に、おじいさんとおばあさんが
厳かに鎧を着けていく。
まるで日本のアニメを見ているかのような演出 に、観客は大喜びだった。
「気をつけて行ってくるんだよ」
そう言って、おばあさんが手渡すのは「信玄餅」。
山梨では定番の土産品だ。
心配そうに桃太郎を見送るおじいさんとおばあさんの方を振り返り、
武田信玄の軍配を高く掲げ、桃太郎は富士山に鬼退治へと向かっていく。
客席からは自然と拍手がわいていた。
劇は、鬼退治を終えた桃太郎と、おじいさん、おばあさん、
そして村人たちが「ほうとう」の鍋を囲み乾杯する、
あたたかく和やかなシーンで無事に幕を閉じた。


公演の後、私は出口に立ち、来てくださった方一人ひとりに折り鶴をお渡しした。
これは、渡航前、私が学校の友達と共に、丁寧に折ったものだ。
「いつか日本に行ってみたい」と笑顔のアメリカ人。
そして、「日本旅行をしたような気分。素晴らしかった」と、
私の手を握り、英語で語ってくれた日系人の おばあちゃん。
自分の目で見たことのない祖国、日本に思いをはせたのだろうか。
私は胸がいっぱいになった。

歴史に翻弄され、辛い過去を持つ日 系人、
その三世、四世となるアメリカ生まれのおじいちゃん、
おばあちゃんたち。彼らとの出会いは、
私に歴史を学ぶことの大切さを教えてくれた。
人種の隔て を越え、多くの人に受け入れてもらえた私の劇、
それを裏で支えてくれたロサンゼルスのあたたかい
日本人コミュニティに感謝の気持ちでいっぱいだ。

あれから三ヶ月。私は新たな出会いを求めて、
またどこかに旅をしたい気分だ。私は旅が好きだ。
行く先々で出会う人々や、新しい景色が、
私に世界の広さとすばらしさを教えてくれる。
私 は今回、ハリウッドを歩くことも、ビバリーヒルズの豪邸巡りや
本場のディズニーランドに行くこともできなかった。
しかし、ロサンゼルスで過ごした一週間 は、
私の最高の思い出となった。
ロサンゼルスは、本当にエンターテイメントの都だった。
日々努力を重ね、いきいきと活動する、本物の「監督」「俳優」たち の姿。
ハリウッド映画の大スターでなくても、彼らの存在そのものが
ロサンゼルスの魅力の一つなのだ。
そして、中国系アメリカ人のホストファミリーが連れて 行ってくれた、
名前も知らない、小さな、観光客のいないビーチで、
ホストシスターのオリビアと手をつなぎ、
ゆっくりと沈んでゆく美しい夕日を眺めた時に一 瞬だけ
ホームシックになったことも、今となっては良い思い出だ。

公演前日のこと。お世話をしてくださった県人会の方が
こんなことを話してくれた。 「ロスは人種のサラダボウル。
私たちの県人会のような、地域に根付いたコミュニティがたくさんある。
支え合っていけるのは本当に心強いけれど、
その裏には支え合わなければ生きていけなかった過去がある」

公演直前の忙しさで頭がいっぱいだった私は、
はっと目が覚めた思いがした。そういえば、ガイドブックに載っている
小東京やチャイナタウンだけで なく、
私が泊まっているホストファミリーのお家周辺には、
韓国系・日系のスーパーがあるし、昼食を食べたのは、
メキシカン料理店だった。
何気なく通り過ぎ てしまっていた景色の中に、様々な人種の人の暮らしがあった。
確かに「ロスはサラダボウル」。
でも、いつか世界が具だくさんのスープのように、互いが解け合い、
それぞれの個性的な味を主張しつつ、受け入れ合ってひとつになれたらいいと思う。
私 がロスで経験した劇、それは監督の千絵さんや、
俳優さん、県人会の方、陰でずっと支えてくれていた家族、
そして私のみんなでつくりあげたものだ。誰ひとり 欠けても、
ロスの人々に喜んでいただける劇をつくることはできなかっただろう。
一人ひとりの個性的なアイディアを、皆で積み重ねていったからこそ、
おもし ろく、味わい深い劇をつくりあげることができた。
何度も話し合うことで、私たちは心を通わせ、ひとつにとなったのだ。
このようなコラボレーションこそが、
世界をひとつの「具だくさんのスープ」にするレシピではないか、と私は思う。

無数に存在するコミュニティ、人種や文化、宗教の違い、
世界は様々な「個性」であふれている。
でも、その異なる一つひとつが互いを引き立てあえるような、
そんなスープができあがる日が待ち遠しい。
私は、いつか世界中を旅して、その地に暮らす人々との対話から、世界を見つめ、問題と向き合い、それを乗り越える方法を見つけたい。

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